郷土誌等文献調査の実例

郷土誌等文献調査の直近の実績10例をご紹介致します。(新しい実例順に記しています。)

実例①
ご先祖が居住されていた地域の旧藩士について、明治中期に現居住地を調べた史料『旧○○藩士族居住の分布状態』に、除籍謄本で判明していたご先祖の氏名が確認出来たことで、その藩士だったことが分かった。
幸いなことに、この藩については過去数度の調査実績があったため、分限帳だけでも享和3年(1803)から廃藩置県直前の明治4年(1871)までの間に作成された4つの時代のものを持っていた。このため、戸籍の範囲を超えて、享和3年当時のご当主までの名前だけではなく、藩から支給されていた家禄や藩士としての家格なども判明。さらに幕末の城下絵図の画像も所持していたことで、当時住んでおられた屋敷も判明した。

本調査は、ご先祖様が士族であったこと。また、過去に数度の調査実績があり、当事務所が豊富に史料を所持していたことが幸いした実例です。

実例②
国立国会図書館所蔵の商人記録により、江戸後期創業の酒造家であったことが分かり、この史料により戸籍より2代前までのご先祖が判明した。
また、明治期の記録では県下有数の酒造家であるとの記述があった。当時生産していた清酒の銘柄も判明。
さらに、『○○郡案内誌』の人物欄に明治期のご当主の記事があり、数社の取締役を務め、村会議員でもあったことなどが書かれていた。

本調査は、国立国会図書館のデジタルコレクションで得た情報をきっかけとし、これをヒントに郷土誌以外の文献も調べた結果、興味深い情報を得ることが出来ました。ちなみに、この家系は母方祖母の家系で縁遠かったため、ご依頼人様には貴重な情報になったようです。

実例③
山深い小さな自治体であるためか、郷土誌は1冊のみでページ数も少なく、直接ご先祖に関する記述はなかった。全国的には珍しい苗字であるにもかかわらず、ご先祖が住んでおられた小さな集落には同姓が多く、姓氏辞典では当地が苗字に発祥地であると書かれていた。その一族は全て集落内の○○寺が菩提寺であるという記述により、旧菩提寺が判明した。
また、Google ストリートビューで集落唯一の共同墓地を見ることができたが、集落の同姓の家紋が全て同じであり、ご依頼人様が希望していた家紋と墓地の所在地が判明した。

本調査は、人口数千人の実に山深い自治体であるため、郷土誌が充実しておらず、なかなかご先祖様に直接関係する有益な情報に巡り合うことが出来ませんでした。ただ、全国的に稀な苗字であるにもかかわらず、その大半が小さなこの集落に集中していることに着目した結果、苗字の由来や旧菩提寺・宗派・墓地・家紋などを判明させることが出来ました。

実例④
明治19年式戸籍で判明した本籍地が属する人口数十万人の市内全体に同姓が一軒もなく、居住地番の旧土地台帳を取り寄せたところ土地所有もされていないことが分かった。
また、最も古い戸籍の前戸主が空欄だったことから、前戸主から家督相続をしたのではなく、分家をされたものと思われるが、戸籍上にどこから分家したかという記載がなかった。これらのことから、明治19年式戸籍が編纂される以前に他の地域から分家して来られたことが推測された。ご依頼人様が管理される墓碑も明治19年式戸籍の戸主の方からしか記録がなく、この点に於いてもこの方が分家初代であることは間違いない。
郷土誌にも具体的な記述はなく、廃藩置県から明治18年の間に転籍されてしまうと、文献調査ではどうしようもない。(現地調査でも難しい。)
ただ、本籍地周辺の市町村ではほぼ見当たらない苗字ではあるが、少し離れた都市に同姓が集住する地区があり、本籍地とその地区は昔から交流があることが知られており、そこから転籍された可能性が大である。そこで、その地区の郷土誌その他の史料にも当たってみたが、明確な情報は得られなかった。

本調査は、大いに苦戦した調査となりました。ご依頼人様の同意を得て、文献調査の標準調査期間の3倍以上の期間を費やしましたが、あまり興味深い情報をお届けすることは出来ませんでした。文献調査は良いことばかりではないという典型的なケースです。このようなこともあり得ることを知って頂きたく、伏せることなく掲載しました。

実例⑤
大都市特有の難しさが表れた調査となった。
大きな都市の場合、「○○市史」のような郷土誌でも範囲が広過ぎて、一般庶民の記述はまず期待出来ず、さらに小さい範囲である「○○区史」も調べたが同様の結果となった。また、言い伝えによれば、江戸期から戦前までは商人だったとのことなので、明治初期から戦前に掛けての11年分の商工人名鑑を調べたがご先祖の記録はなかった。
ただ、本調査の期間中、別件の江戸前期調査で現地の図書館に行くことになり、現地の図書館でしか閲覧出来ない文献・行政資料を調べることができた結果、僅かに有益な情報を得ることが出来た。

大都市に於ける文献調査は、その郷土誌自体が広い範囲となるため、一般庶民の記録が直接出てくることは稀です。ただ、意外な感がしますが、大きな都市の代表である東京23区の場合は、郷土資料も豊富ですので、大都市の中では文献調査が行いやすいところではあります。

実例⑥
士族だったという言い伝えがあり、その地域の武士に関する各種史料を調べたところ、「○○市史」の史料編にその地域に住む郷士の略系図が記載されており、明治19年式戸籍に記載されていた方の名前を含む略系図を見つけることが出来た。この略系図により、1600年代後期の方を初代とするご先祖の流れが分かり、当時の家禄や諱も判明し、菩提寺も書かれていた。
また、別の郷土誌には、城下絵図があり、ご先祖の旧屋敷地が分かった。

お申し込み時に、士族だったという言い伝えをお聞きしていたため、それに専念することが出来たことが大きかったかと思います。最大の収穫は、その地域に居住していた武士の略系図をまとめた史料編があり、そこにご先祖様の略系図を発見出来たことに尽きます。

実例⑦
人口3万人に満たない小さな町ながら、古い歴史を誇るだけに郷土誌が充実しており、町史だけでも通史編上・下巻・補足編、史料編上・下巻の5冊あり、その他も充実していた。特に史料編2冊の存在は有難かった。
言い伝えでは庄屋だったとのことで、史料編を中心に調べたところ、言い伝え通りに江戸初期から庄屋を世襲している家であることが分かった。
1700年代後期には地域で有名な学者で歌人のご先祖を輩出し、町史の人物編にその方の項があり、そこにルーツに関わることが書かれていた。それによると、1600年代初頭に隣県の某村から来住されたと記されており、その初代のご先祖の名前まで判明した。

本調査は、文献調査でありながら、結局「江戸前期調査」を超えるような結果となりました。これは江戸初期から庄屋を世襲された家であったこと、郷土史に実に熱心な町であり、地元の郷土歴史館の学芸員さんに何度もアドバイスを頂いたことが大きかったと思います。

実例⑧
本籍地は純農村地域であり、郷土誌からも農身分であったことが確認出来た。特に村役に就いていた記録はなかったが、旧土地台帳によれば当時の宅地だけでも432坪もあり、ある程度以上の農家であったといえる。
戸籍を超えるご先祖は分からなかったが、歴史人物事典には戦前に台湾で活躍されたご先祖様について書かれた項があり、その方のことが台湾のあるホームページにも書かれていた。

本調査では、郷土誌関係の文献は多くありましたが、江戸期には一般的な農家であり、特に御当家に関する記載はありませんでした。ただ、歴史人物事典により、台湾でも有名な方がご先祖におられることが分かっただけではなく、その方が建造されたものが台北に現存しており、早く台湾に行って見てみたいと喜んでおられました。

実例⑨
明治初期以前の居住地は、四国の険しい山奥の村であり、郷土誌といっても『○○村誌』の僅か111ページのものが1冊あるだけだったが、結果としてこれが貴重なものとなった。当村の3軒に1軒が同じ苗字の家であり、そのルーツはある戦国大名の末流に繋がると書かれ、その系図も記載されていた。
このことはさらに大きな範囲の郷土誌にも書かれており、それにはさらに詳しい系図と「○○氏由緒伝」があり、戦国末期に織田軍との合戦に敗北して関西から落ちて来たことが書かれていた。
また、明治以降の歴代村長の内にもご先祖様の名前が複数あり、山深い村の名門家であったことが分かった。

本調査は、なかなか興味深いもので、歴史のロマンを感じさせるものでした。

後日、ご依頼人様が当地を訪問されたとのことで、報告時に推定していたご本家や墓地を訪ね、その通りだったということでした。ご依頼人様の曽祖父様が明治中期に分家をして都会に出て以来で、ご本家の方々と親しくお付き合いが出来るようになったと喜びのご連絡を頂きました。

実例⑩
大正年間発行の商工案内に当時の家業が書かれており、当時のご当主は商工会議所議員や市会議員を務めておられたことが判明。ただ、昭和初期に倒産されたことからあまり詳しい話が伝わっていなかったらしい。
また、『○○市史』中に、江戸中期に隣郡の某村から旧本籍地のあった村に移住して来たこと。その後、ある製品の製造販売を始めたことなどが書かれており、当時の屋号も判明した。

昭和初期に倒産し没落されたことから、詳しいことが伝わっていなかったようで、大変喜んで頂けました。このように、江戸期からある程度以上の商売をされていた場合、郷土誌その他の文献に書かれていることが多いものです。