人拂帳

ある地区の庄屋家の文書を調べていましたら、13冊もの「人拂帳」(ひとばらいちょう)を見つけました。寛政3年(1791)~文政10年(1827)の間に書かれたものです。

人拂帳

この人拂帳とは、ある村の1年間の人口の増減を「出生」「死亡」「婚姻」「養子」「奉公」など増減に関係する事柄毎に記録したものです。

たとえば、出生に関しては「生子之事」の項に、以下のように記されています。
「男壱人 四月ニ生ル 惣七男子 市郎」

画像に示したものは、表紙に文化9年と書かれていますので、惣七の息子の市郎は文化9年4月に生まれたことが分かるわけです。死亡の場合も同様の表現で記されています。

今回の調査で有益な情報となったのが、
「男壱人 ○○村藤蔵男子六太郎弥平所江養子ニ来ル 弥平養子六太郎」
という記事です。

これまで六太郎さんまでは分かっていましたが、その先が不明という状況でした。この記事によって、六太郎さんが弥平さんの実子ではなく、○○村の藤蔵家から養子として来られたことが分かり、一歩前進することが出来ました。

ちなみに、この人拂帳はそんなに頻繁に出てくるものではなく、1冊でもあれば嬉しいところであり、今回のように1つの村で13冊も残されていることは、私自身の体験としては過去になかったことです。