皇城炎上献金者名簿の補足

9月25日の記事の中に、皇城炎上献金者名簿という史料を調べた結果、「これによって、“士族”ではなかったことが分かりました。」と述べていましたが、ご同業の方からこの名簿には士族や平民などの族称は記載されていないのではないかというご指摘を頂きました。

よって、今回はこの点について詳しく述べてみたいと思います。

皇城炎上献金者名簿は、ブログで述べた大分県だけではなく、多くの地域に残されていますが、これらの名簿の中で、族称が書かれているものと書かれていないものがあるのです。

ご指摘をされた方は、たまたま族称が書かれていない地域のものだけを見られたことで、疑問を抱かれたようです。

あくまでも現地での具体的な調査日記として書いているのであって、一般的な調査方法を述べているわけではありませんので、今回私が調べた献金者名簿には書かれている族称を見て、「士族ではなかったことが分かりました。」と表現しました。

史料というのは、同じ趣旨で作成されたものであっても、どこでも共通した内容であるとは限らないということです。(宗門人別帳などは良い例です。)

ちなみに、同じ大分県の名簿であっても、族称が書かれていない地域のものもありますし、例えば豊岡県(現在の兵庫県北部、京都府北部)の献金者名簿のように、士族や平民だけでなく卒族(一代卒)も加えられているのもあります。