現地調査1日目

現地調査の事前準備の続き

いつもは現地の図書館を現地調査の第1歩とするのですが、今回は主要な郷土誌関係は事前に取り寄せて読んでいますし、図書館でコピーするはずのゼンリン地図も既にコンビニで取得しています。

このため、まっすぐ墓地調査に向かいました。
最も古い明治19年式戸籍で確認出来た本籍地周辺地区です。

事前に調べたところでは、本籍地周辺には8カ所の小規模な共同墓地があることは分かっていましたので、まずは本籍地(今は空き地)に近い墓地から探したところ、運よく2番目でご依頼人様のご本家と考えられる家の墓碑を見つけることが出来ました。

累代墓とそれを囲むように古い夫婦墓や個人墓が雑然と並び、累代墓の横には墓誌が置かれていました。墓誌があれば、まずはそれを確認することから始めるのですが、大変有難いことに、初代・二代と代数を付けて時代の古い順に刻まれており、初代の方の没年は明和4年(1767)。「享保十二年○○△△二男分家」という一文があり、初代は享保12年(1727)に分家をされたこと及びその父の名前が示されていました。初代の方は1700年前後の出生と思われます。

墓誌をさらに追っていくと、裏面に彫られた五代目の方が明治初期に分家されたご依頼人家の初代の方のお父様の名前と一致! この家がご本家であることは間違いなく、実にあっさりと墓地調査が終了しました。墓地調査には泣かされることが多いので、たまにはこのようなことがなければ務まりません。

結局、1800年までを目標とする「基本調査」の範囲をあさり超えることになってしまいました。

なお、この墓誌に彫られた方々の墓碑が周辺に散在している古い墓碑群に含まれているはずですので、一基ずつ探して撮影。風化が激しくどうにも特定が難しいものもあり、結構な時間を費やしましたが、墓誌に彫られていないそれぞれの戒名も判明しました。

戒名によって、浄土宗であることが分かりましたので、これをヒントに菩提寺探しを行います。

さらに、累代墓の背面に彫られた建立者名を確認し、墓地を去りました。
現在、この地区に同姓の家はなく、この建立者名を本家探しのヒントにします。

以上の作業を終えたところで、2時間弱が経過していました。

この後は、訪問予約をしている資料館です。
墓地調査が予想外の収穫がありましたので、随分気が楽になりました。