千代丸城址(福岡県遠賀町別府)

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隣りの町にあるにもかかわらず、これまでこの城址の存在を知りませんでした。県内の城址は結構調べていたはずなのですが、今日初めて知った千代丸城址です。

『遠賀郡誌』によれば、「小早川隆景筑前を領せらるるに及び其臣安増甚左衛門を千代丸に居らしめ、神社をも修造せしめて、養子秀秋の代に至り、国を没収せらるるに至りしかば安増氏遂に此に止まりて農に帰せり」とあります。

小早川隆景が筑前を領したのは、秀吉の九州征伐の論功行賞の結果ですので、天正15年(1587)のことになります。その時期に、家臣の安増甚左衛門に築かせた出城ということです。

この城が廃城となったのは、隆景の養子となった金吾中納言秀秋が「国を没収」された時と書かれています。秀秋が筑前国を没収されたというのは、慶長3年(1598)に秀吉から越前北ノ庄15万石に減封の上転封された時ではないかと思います。

秀吉の没後、家康のお陰で再度筑前に戻ることができましたが、関ヶ原合戦後には再び筑前国を離れ、岡山55万石に加増・移封されています。ただ、このことを「筑前国没収」とは言わないでしょうから、やはり慶長3年時に廃城となったと考えるべきでしょう。

僅か11年ほどしか存在しなかった幻の城ということですね。

ちなみに、城があった山(千代丸山)の中腹には貴船神社があり、その登り口には安増姓の方が住んでおられ、その周辺にも同姓の家が数軒あるようです。帰農した安増甚左衛門のご子孫の方々なのでしょう。