黒田官兵衛の人事管理
福岡藩の黒田家文書の中に、『家中間善悪之帳』というものがあります。
如水(官兵衛)公自筆と書かれたこの文書は、江戸初期の黒田家臣団の人間関係を記したもので、結構興味深いものです。
例えば、「中悪敷衆」として、次のような記述があります。
一、村田出羽 ニ悪敷衆
三好助兵衛
堀平右衛門
吉田七左衛門
これは、村田出羽と仲が悪い者として、三好助兵衛・堀平右衛門・吉田七左衛門の3名がいるということです。
逆に、「中よき衆」の項では、
一、井上周防 よく候
堀平右衛門
黒田内膳
田代半七
手塚久左衛門
高橋伊豆
岡九郎次郎
川村少五郎
高屋九左衛門
生田万介
井上周防と友好的な関係にある者として、堀平右衛門から生田万介までの9名が挙げられています。
堀平右衛門という名前はどちらにも登場しており、村田出羽とは仲が悪いが、井上周防とは良好な関係だったようです。
このような家臣団相互の人間関係は、官兵衛自身が調べて書き留めていったもので、戦いやその他の仕事をさせる上で、誰と誰を組み合わせると良いのかを考えていたようです。家来の教育者という色彩が強かった官兵衛ならではのものかと思います。
思慮分別はあるが少し慎重な栗山善助と、剛毅だが猪突猛進の欠点がある母里太兵衛という対照的な二人を義兄弟とし、お互いの長所を伸ばし短所を矯正させたことは有名な話です。