薩摩藩の農民の生活

石高は一般的には玄米高で表示されるところ、薩摩藩だけは籾高で表示しており、年貢だけは玄米高で納めさせるという農民にとっては非常に厳しい税制を布いていました。以下、具体例です。

画像の説明

 薩摩藩では1石につき3斗5升の年貢が徴収されることになっていました。一見すると税率35%のようで、5公5民(=50%)とされる一般の藩の税率より低いかのように思われます。
 ところが、幕府や一般の藩が石高を表すのに玄米で換算する数字(以下玄米高という)を用いたのに対し、薩摩藩のみは籾の状態で換算する数字(以下籾高という)を用いていました。

 籾を脱穀して玄米にすると、1石は約半分の5斗になるとされています。しかし、年貢は脱穀して減ってしまった玄米高5斗に対してではなく、あくまでも籾高1石に対して35%を課し、3斗5升が徴収されます。つまり、実質70%の税率となってしまいます。

 この3斗5升は正規の年貢、すなわち“正祖”と呼ばれるものですが、薩摩藩ではこの正祖だけでは済みません。ある地域の郷土誌には、正祖以外に徴収される年貢が列挙されていましたが、1石につき定額が課されるものだけでも以下のものがありました。
・口米口入:1石につき7合
・役米:1石につき2升
・代米:1石につき1升
・賦米:1石につき1升1号
・三合米:1石につき3合

 以上、1石(もちろん籾高)につき5升1合が正祖の3斗5升に加算され、合計で4斗1合となります。つまり、5斗中の4斗1合が徴収されるということで、税率はなんと80.2%という恐ろしい高率になります。

 さらに、そこから年中納物や女子の賦課などの諸税が加わり、農民が忌み嫌う夫役という公共工事などへの無償労働が強いられます。

 ちなみに、一般的な藩の年貢率は、教科書などにも書かれているとおり5公5民、すなわち50%程度です。また、幕府領(天領)では、藩の模範になるようにということで、4公6民とされていました。このため、幕府領では多くの豪農が発生しています。

 これに比べると、薩摩藩は8公2民と信じられないような高率であり、薩摩藩の農民は「生存はあったが、生活はなかった。」と言われるような苦しい生活を強いられていました。

百姓

 この原因の最大のものは、圧倒的な武士の多さです。江戸時代の武士が占める率は、全国の平均で7%程度と云われていますが、薩摩藩では30%前後と全国平均の4倍以上の武士を抱えていました。

 まさしく、“武の国”ではありますが、それを支える農民の苦痛は大変大きかったということです。

(記:令和3年3月25日)

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