お客様の声(戸籍を超える家系調査編)

今までに寄せて頂いたお客様の声をご紹介しております。

お客様の声を記載するというのは、どうもわざとらしさを感じてしまいますので、躊躇致しましたが、弊社が提供する家系図調査の具体的な内容をご理解し易いかと思い、個人情報を特定できない範囲で掲載することに致しました。文章が明らかに誤っていると思われる点については、修正させて頂きましたが、内容そのものについては脚色をしておりません。

なお、当然のことですが、掲載に当たっては、ご本人様の許可を頂いております。


基本調査

[Sさん] 福岡市南区在住

  • お申込みの内容:基本調査
  • 調査対象地域:福岡市・北九州市・下関市・宇部市

戦前に台湾で生まれ育って、終戦後に日本に住むようになったので、先祖のことがほとんど分からず申込みました。祖先は門司に住んでいたと聞いていましたが、江戸時代には下関に住み、"米屋"という屋号で米問屋をしていたことを知りました。その時代の古地図も頂き、江戸時代のご先祖がどこで暮していたのかまで分かりましたので、ちょっと足を延ばして出かけてみました。壇ノ浦のすぐ近くの、遠い昔ご先祖が住んでいたという土地に立っていると、とても不思議な気持ちにさせられました。完成した家系図は、仏壇にお供えしています。貴社にお願いしてよかったと思います。


[Oさん] 静岡県浜松市在住

  • お申込みの内容:基本調査
  • 調査対象地域:埼玉県東松山市

わざわざ遠い埼玉県まで調査をお願いして申し訳ありませんでした。その上、基本調査をお願いしたにもかかわらず、結果的にさらに100年も前の1700年頃までのご先祖様までを調べて頂き、ついでに分かっただけだからと追加料金も必要がないとのことで、ちょっと儲かったような気がしています。

一番嬉しかったのは、古い村の文書に私のご先祖様の署名と印があったことです。当時でも、今と同じようにみんな印鑑を持っていたということを初めて知りましたし、ご先祖様が使っていた印鑑の写しまで見つけてもらえたのが凄いなと思いました。有難うございました。


[Iさん] 北海道函館市在住

  • お申込みの内容:基本調査
  • 調査対象地域:島根県浜田市

北海道に住んでいますが、屯田兵としてではなく船乗りとして来たとだけ聞いていました。それ以外には、もともとどこから来たのかが分からなかったし、宗派も家紋も分からないという状態でした。

そこで、インターネットで調べた行政書士さんに除籍謄本による家系図を作ってもらいました。手渡された除籍謄本から、曾祖父までの名前と島根県の浜田市というところから移住してきたことが分かりました。ただ、家紋や宗派は分かりませんし、浜田市というところで何をしていたのかも知りたいと思っていたところ、貴社のHPを見つけたのです。

あまり予算がないので、基本調査の家系図を申し込み、ご先祖の名前だけではなく、宗派も知りたいし、家紋も知りたい。また、江戸時代に何をしていたのか?本当に船乗りをしていたのか?また、なぜ北海道に移住したのかも調べて欲しいという厚かましいお願いをさせて頂きました。

その結果、浜田市の現地には本家を継いだ方が住んでおられ、代々のお墓や家紋・過去帳の写真まで撮って頂き、宗派だけではなく、ご先祖の戒名まで教えて頂きました。もともと、北前船の船乗りだということで、幕末の北前船の記録にご先祖の名前が書かれている古文書の写真も頂くことができました。船乗りらしく、戒名の一部に「乗船」という文字が入ったご先祖もおられ、江戸時代に日本海の荒波を渡っておられたんだなと感激いたしました。

予算の関係上、巻物も頼めませんでしたが、多くの写真も添付された詳しい報告書を頂きました。大事にしたいと思っております。


[Tさん] 山口県下関市在住

  • お申込みの内容:基本調査
  • 調査対象地域:鹿児島県奄美市

わざわざ奄美大島までご苦労さまでした。奄美の一文姓の歴史的な意味、私の先祖がこの苗字と郷士格という身分を得るために、どれだけの多くの島人を搾取していたのか。彼らの苦しみの上に私の苗字があるという事実を知り、愕然とさせられました。

島でも数少ない郷士格であったことの少しの誇りと、それが島人達を搾取した上で得られたものであったことを今一度噛みしめたいと思っています。調査をお願いしてよかったです。有難うございました。




江戸前期調査

[Kさん] 北九州市小倉南区在住


父が早く亡くなったため、父方の親戚との付き合いが無く、分かっていることといえば祖父までの名前と本籍と祖父までが入っている墓の場所だけでした。たったこれだけの手掛かりで、本当に400年前までの祖先が分かるのかと正直なところ半信半疑でした。だから、いろいろな証拠資料と一緒に説明を受けた時は本当に驚いたものです。

  • 幕末の安政の頃に薩摩の別の場所から移ってきたこと。
  • 曽祖父が戊辰戦争に参加して、遠く会津城の攻撃にも参加していたこと。
  • 頬に鉄砲の貫通傷を受けながらも煙草を吸い、口に空いた傷口から煙を出して笑っていたという豪傑だったこと。
  • 250年前は別の苗字を名乗っていたこと。
  • 苗字が変わる前の祖先の古い墓まで見つけて頂いたこと。

そして、私から数えて12代まで続く家系図を見て深く感動しました。報告を受けた後、連休を利用して家族と一緒に鹿児島に行き、教えてもらった墓までお参りに行ってきました。そして、探して頂いていた苗字が変わる前の総本家のお宅まで挨拶に行き、今後ともお付き合いが出来るようになりました!お陰様で、息子に良いものを残せてやれそうです。


[Yさん] 北九州市若松区在住

  • お申込みの内容:江戸前期調査
  • 調査対象地域:福岡県中間市→広島市・呉市→愛媛県宇和島市

今回は、広島県から愛媛県にまで調査の範囲が広がることとなり、大変御苦労さまでした。明治の初めに、広島県から移ってきたということは聞いていましたが、その前には江戸時代の初めに愛媛県から広島県に移っていたことが分かり、とても驚きました。よくもそんな記録が残っていたものだと感心致しました。そのことが書かれている古文書を撮影して頂いた写真は、なくさないように家系図と一緒に保管しています。

また、見つけて頂いた呉市の総本家の墓に、休みを利用して息子と一緒に行ってきました。墓誌には、確かに古い除籍謄本に載っている本家のご先祖様の名前が彫られていました。広い呉市の中で、山の斜面にあるこのような墓を、よく見つけることができたものだと感心しております。

貴社のHPに、「古い墓を探す努力もしています・・」と書かれていましたが、正直「本当かな~」と思っていました。今では、疑ってしまって申し訳なかったと思っています。有難うございました。


[Iさん] 名古屋市在住


はぁ~ 悲しいですね。祖父や父から聞いていた話とはかなり違った結果が出てしまいましたね。残念ですが、反論の余地がない史料などを見せられては、藤田さんの言われることの方が正しいことを認めざるを得ません。

藤田さんは、ご先祖が武士だろうと農民だろうと、ご先祖の価値に変わりは無いと言われますし、確かにその通りだとは思いますが、子供の頃から島津家の武士だったと聞かされ、それを誇りに思ってきましたので、やはり落胆は隠せません。ただ、今回の調査をきっかけに真実が分かったということは、そのまま肯定的に受け入れたいと思います。もの凄くたくさんの古文書の写真を頂きましたが、さぞかし大変だったと思います。とても自分では出来なかったでしょう。有難うございました。




徹底調査

[Tさん] 福岡市南区在住

  • お申込みの内容:徹底調査
  • 調査対象地域:大分県内

若い頃に地元を離れ、父親も早くに亡くしていたので、自分の家のことについては何も聞いていませんでしたが、出身地の町にある神社の多くが同じ姓の宮司さんばかりだったので、何か関係があるのかなと以前から漠然と思っていました。

貴社の徹底調査に申し込んだところ、江戸時代の初め頃までは割と早く報告頂きましたが、それから先がなかなか分からないとのことでしたので、やはりそれ以上というのは無理なのかなと諦めかけていました。

すると、1年経過した頃に、「県立図書館にT氏の古い家系図が記録されている古文書を発見しましたよ」というお話があり、それから後はトントン拍子に調査が進み、とても詳細な報告書を頂きました。巻物も10m以上も長いものになり、周囲の神社の宮司さんがなぜ同姓なのかという長年の謎も分かりました。1年以上たっても諦めずに調査し続けるという姿勢が気に入りましたよ!


[Nさん] 福岡県田川郡在住

  • お申込みの内容:徹底調査
  • 調査対象地域:田川郡一帯

戦国末期に○○(具体名は伏せています)城の城主の一族だったが、戦に負けたので武士を捨て農民になることを条件に許してもらい、現在の地に移り住んだという言い伝えがありました。難しくて全く読めないのですが、そのことを書いているような古い巻物も代々伝わっていました。

長い間、それが本当のことなのだろうか? という想いがあったところ、新聞記事に藤田さんの家系図のことが載っていたので、申し込みをしました。そして、言い伝えられてきたことが本当の話だったということが分かりました。

さらに、そのことを伝えた古い文書がちゃんと九州大学に残されていることも分かりました。それを写真に撮ったものを頂きましたので、巻物と一緒にお仏壇に飾っています。これらのものを息子たちに残せてやれることが嬉しくてなりません。